心に花を… 弱い所も強い所も全て一遊
一遊が心華を活けるようになって10年。
今、一番人間に大切なのは、心だと思って。
それに加え私は1年に3度の交通事故、交通事故の影響で、自分は身体が動かず、寝たり起きたり、何かやろうと、しても、頭痛が…。毎日子育てに追われ、専業主婦だった私は廃人のようでした。当時、娘は5歳息子は3歳、御飯を作ろうと思っても、起き上がれない時は、5歳の娘がお米を研いで炊いてくれて、息子に、納豆御飯や卵かけ、御飯を、作ってくれました。洗濯物も、何も言わなくても、息子と娘で畳んでくれたり、息子の靴紐を締めてくれたり、お姉ちゃんになって、たくさん私を助けてくれました。
私もその頃から鬱病を発祥していたと、思いますが、もともと、明るい性格で気にしないノー天気だったので、自分が鬱だと気付かずに生活…それがまずかった。病院に行った時には、あなたは躁鬱です。
そんな病院通い、薬を飲む、安定しない日々
絶対にしてはいけない行動に…。
「死にたい」
子供達はまだ、幼稚園だったので自分が交通事故の後遺症で何もできなくなって、子供に迷惑ばかりかけて、薬でフラフラして、御飯も作れない。こんな人間、こんな母親なんて…と自分を追い詰めました。
友達も、家族にも相談できず。1人で悩む。
毎日、首が痛く、手はしびれ、吐き気…。
生きているのが辛いと感じる。
子供の幼稚園運動会ではぎっくり腰になり、数日歩けなくなり。
車を降りるとなぜか足が動かない。
今では、不思議な現象にしかおもえないが。
ほんと、苦しい日々は4〜5年続いた。
ある日、ほんとに「死のう』と思った日。
大好きだった、静岡に住む、ともちゃん(陶芸作家の武田朋己さん)に最後の電話をした。
普通の話を1時間ほどして、切った。
次の日私は(富士樹海に行こうと思っていたら)
ともちゃんがうちに来て「昨日由美ちゃん元気なくて、変だったから、会いに来ちゃったってはるばる静岡から駆けつけてくれた。』
今までのいろんな経緯を話して…
ともちゃん一言。
「由美ちゃんたのしもう。旅に行こう」って。すぐに手配して与論島へ。
そこからが、私がどんどん元気を取り戻しました。