華道に出会った、「きっかけ」は母の一言
幼いころの私【 角田由美 つのだ ゆみ 】は
勉強が苦手…
運動はオンチ…
目立つところなく…
人見知りの赤面症… でした。
母は、そんな私をなんとかしようと、イロイロな習い事をさせました。
【 ピアノ・バレー・日本舞踊・絵画・水泳・書道・そろばん 】
しかし、どれも極める事なく6年生の時に、全て辞めてしまいました。
そんな頃、母は習っていた華道で師範を取得し、( 誰かに教えたかったのかも )
中学生の私に一言。
「 あなたはAB型だから、芸術家に向いてるらしいから、華道を始めなさい。 」
( 後々聞いたら、占いの本に書いてあったらしい、そんな安易な考えの母の子育てはさすがです )
小さな時から 母は厳しい母で… 母が言った事は絶対でしたので…
母から習う事に…
始めは、華道なんて古臭いとか思っていました。
しかし習い始めてみると、花には1番美しい顔がある事や蕾から花開く事が見えたり、
茎や葉を利用して活けたり、新しく普通では知らなくても良いことが分かった事が
とても楽しかったので、
華道は毎回楽しく、母から習っていました。
また母は、私が活けたお花を喜び褒めてくれました。
( 勉強や運動で褒められる事がない私は、とても嬉しかった事を思い出します )
そんな母が私が高校二年の頃病に倒れ…
母の存在は大きいし感謝をしています。
結婚しても手に職や資格があると自信がつく、
教室や販売など年齢は関係なくはじめられるから。
華道を続けるため大宮で、『日本古流華道』の先生から習う事になりました。
【 師範 】を取得した「きっかけ」は、
母は病(ガン)に倒れ…
余命宣告をうけていました…
( その時代は、本人告知は無かったのですが… きっと気付いていたと… )
その時… 母に…
「 あなたは華道を続けて、最低でも私より上の師範以上を取得してね。 」
その一言が遺言になってしまいましたが…
結婚する条件は、華道を続けても文句言わない人でした…
母が亡くなる前に結婚式を見せたかったのですが、余命二ヶ月だったので、間に合わず …
母参加で結納をしました。
母は二ヶ月で、私にブーケを手作りしてくれようと少しづつ作ってくれていました…
( 最後まで完成にはならなかったので、母の友人の佐々木さんが完成させてくれました )
そして母は4月11日に、この世を去りました。
喪が明けて、そのブーケを持ち結婚しました。
私は華道を続けて、師範の上を目指しました。
試験で取得できる、最高の会頭職を取得する時には臨月でした。
( その時お腹にいた娘は今… 華道で 『 一琴 』 のお名前を頂き、【 師範 】を取得し頑張っています )
全ての試験に合格した達成感で、次の目標もみつからず…
そして二人目の子供が出来た時… お金もかかるので華道を一旦お休みしました。
( その時の息子は今… 華道で 『 一広 』 のお名前を頂き、頑張っています )
子育てに追われ子供達といる一日…
大人と話す機会もなければ、私は早い結婚だったので周りにママ友達もいなくて…
孤独でした。
そんな時… 不意に花屋に入り好きな花を買い、お家で活けていました。
花を活けているときは無心で…
子育ての悩みや少し疲れもとれました。
花を買う機会が増えて…
習いに行ってる時よりもお花代もかかるし…
なにより先生に会いたくなりました。
「子供達を連れてお稽古しても大丈夫だからいらっしゃい。」と言っていただいて
華道をしている時は先生に子守をお願いして、私は集中してお花を活ける楽しみができました。
その時、先生からの進めで展覧会に出展しました。
初めての機会に私はドキドキしました。
( 目標がみつかりました )
自分の作品を大勢の方に見てもらえる…
すごく刺激になりました。
やらされていたような華道が… 自分からやりたいと言う気持ちに変化しました。
自分で考えて花を感じ活ける楽しさに出会いました。
花は生きています。
沢山の生きるパワーがいただけてる気がして華道を続けていて感謝しています。
私が教室を始めようと思った「きっかけ」は、
まさに自分の個性をアレンジで表現出来なかった経験があるからです。
テキスト通り、先生のお手本通りのレッスンを受けていると、
自分で考える事をしなくなってしまいます。
何かを作っても、「どこかで見たアレンジ」になってしまうのです。
個性を表現するということ。
アレンジをどのようにしたいのか?
どんな色の組み合わせにしたいのか?
など、誰の真似でもない自分自身のデザインのお花を作って、
教えたいと思ったからです。
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